歩いて鷲宮神社に行くの2日目。
前日にも行ったんですが7時半にもう一度久伊豆神社に行ってみる。
さすがに朝早いと人が少ないです。
岩槻の神社だけあって人形なんかも飾ってありました。
この時期だけなあのかな?
岩槻を過ぎると郊外感が増してきます。
途中には街道並木が少しですが残っていました。
あちこちに切り株があったので昔はずっと続いていたようです。
道程は長いんですが何も見所が無いのが困りものw
幸手市内に入って町の中心部の手前で日光街道と合流。
左が日光街道、真っ直ぐが日光御成街道です。
着いたのが10時50分ですから結構歩きましたね。
ということでここが本郷から始まった日光御成街道の終点になります。
現地にはちょっとした看板しか有りませんでしたが、今も交通の要衝のようで渋滞してました。
幸手は意外と古い街並みが残っていて昔の宿場町の名残が良く残ってました。
さすが街道の合流点ですね。
古い建物に昔の看板が出てました。
電話番号57番て……
さて幸手までは旧街道なので道が分かりやすいんですが、ここから鷲宮までどう続いてたかは推測で進む事にしました。
鷲宮に向かう県道が途中までは日光御廻り街道なのでこの県道が日光街道からの参詣道でいいのかなぁ。
幸手市内を歩いているとさりげなく案内板が。
思ったより細い道でびっくり。
市街では県道とは別で車1台がギリギリの裏通りが始まりです。
とその前に幸手宿の鎮守社幸宮神社にお詣りです。
なかなか広い神社でした。
11時半に無事御朱印も頂いて後は鷲宮に向かうだけ……の前に。
通り沿いに雷電神社というのがありました。
無人ですが明治期より前はこちらが鎮守社だったそうです。
今は幸宮神社の管理社になってるので無関係って訳ではないのですかね。
この場所を用水路の方に日光御廻り街道が続いていたようですが痕跡はないですね。
いいのかどうか分かりませんがここから鷲宮への道があったと想定して歩く。
鷲宮に近づいたところでちょうどJR宇都宮線の跨線橋付近で元踏切道の方が旧道と思しき細道がありました。
当然そっちを歩いてみた訳ですが馬頭観音を発見。
年号を見たら寛政6年とあったのでやはり古い街道で良かったみたいです。
この道を行くと道なりに鷲宮神社の正面の道に出るのでやっぱり参詣道で良いようです。
13時20分に鷲宮神社に到着しました。
いや遠かったね。
鷲宮神社は以前にも来たことがありますが、二年参りだったので暗くてよく分かりませんでした。
今回は明るくてよく見えるw
境内も意外と広くてなんとなく伊勢神宮に行った時の雰囲気に似てました。
一時期酷かった場違いな人たちは目に付かず地元の神社っぽい雰囲気で良かった。
もっとも絵馬は相変わらずな感じでしたがw
そういえば神社前の茶屋が閉店してました。
張り紙によるとつい最近みたいですね。
こういう要素が減るのは非常に残念。
目的の鷲宮神社も詣でることが出来ました。
准勅祭社としては後一社行かないといけないのですが、そちらは次回にでも。
遅めのご飯を食べて電車で帰ってきましたが、電車だとあっという間ね。
文明の利器すばらしい。