甲州街道歩きが終わったのでどうしようかなと、無理して歩く必要はないのですが、ちょっとやりたいネタの序盤が被るので東海道を歩くことにしました。
久しぶりの日本橋、地下はよく通るのですがw
まじまじと見たのは甲州街道のスタート以来かな?
まだ先ですが首都高の撤去は決まって、そのうちこのうざったい景色も懐かしくなるのだろうか……
橋の中央に道路元標があるけど、歩道からは見られない。
まあ、車でも無理ですが。
10時過ぎスタート。
日本橋、八重洲近辺はしばしば歩きますが、改めて見ると変わったなぁ。
日本橋のビルも再開発中。
東京駅も昔の野暮ったさがなくなってる。
元新橋が架かってた新橋。
そしてお馴染みゆりかもめの新橋駅。
ここまではお馴染みの場所ですが、これから外はテリトリー外。
東海道は国道15号をそのまま歩くことになりますが、なぜ東海道が国道1号じゃないのか?というネタを昔見た気がするけど忘れた。
金杉橋では屋形船が停泊してました。
この辺りも屋形船の停泊地なんですね。
泉岳寺近辺ではいくつか新しい交差点が作らてました。
絶賛再開発中の高輪GW地区に入る道路のようです。
使われなくなった以前の線路遺構がちょっと寂しげ。
品川駅の高輪口は変わらないなぁ。
ここも再開発されるそうなので、昭和っぽい顔が拝めるのもあと数年。
京浜急行の鉄橋に沿って線路を越えるといよいよ品川宿へ。
同じ方向に3本電車が併走していくと壮観。
横須賀線があれば4本同時なんだけど、余程の偶然じゃないとこれだけ綺麗には揃わない。
さて、八ツ山の交差点は複雑すぎて分かりづらいですが、真ん中の細道に入ってさらに踏み切りを越えると品川宿。
踏切からは品川駅の南にある北品川駅が見えます。
品川駅は港区なのはよく知られた話ですが、本来の品川である北品川宿最寄りなので北品川駅です。
12時に品川宿到着。
北品川と南品川に渡ってるだけあって大きいのですが、意外と食べる場所がない。
京急の駅前に行けばそれなりにあるんだけど、それはちょっと違うかなと。
結局開いてる店を見つけられず通り過ぎてしまいました。
なんだかなぁ。
品川での鎮守社はやっぱり品川神社。
という事で、准勅祭社巡り以来の品川神社です。
既にもらってますが、今回改めて頂きました。
しかしこの日対応した人、宮司の息子なのかな。
まあ、神社だからって特別性は求めないけど、人と応対するときにテレビ見てたらいかんだろ。
社務所でテレビを見る事自体は否定しないけど、御朱印帳をやりとりするときにテレビの方を向いててこちらを見てないって、それ人としてどうなのよ。
御朱印料を払う時も手渡ししようとしたら、ここに置けみたいに指で叩くし。
ご利益なさそうなので二度と来たくないわ。
富士塚があって結構好きだったのに……
お口直しじゃないけど、准勅祭社論争がある品川のもう一つの神社が南品川の入口にあります。
それがこちらの荏原神社。
書き置きのものですが、対立する品川神社の呪いか貼り付ける際に破れてしまった。
この二つの神社を並べてはいけないのかもしれない……
品川を抜けても京急の駅があるので家と商店が絶えないですが、ずっと裏通り歩きの風景が続きます。
大森海岸駅手前で再び国道15号と合流するので道が広くなります。
再度旧道に入ることもありますが、基本的に国道歩きなので広い、そして騒々しい。
蒲田付近も大分変わりました。
昔PIOでに来たときはまだ踏切あったけど、見る影もなし。
駅から少し離れたところにあったのに、駅が大きくなりすぎてPIOが駅前一等地に変わってるしw
やってるイベントは相変わらずでした。
なんか和む。
六郷大橋を渡るといよいよ神奈川県。
渡りきって歩道が降りたすぐが川崎宿。
川崎駅方面に向かう道が旧道なのでそこを行きます。
ということで無事15時過ぎに川崎宿に到着しました。
川崎もなんだかんだで宿場町を売り出してるのね。
場所的には京急川崎駅の方が元の中心に近いのですが、今の繁華街的には外れな感じです。
宿場中心からは少し先になるのですが、駅に行く方向なので鎮守社の稲毛神社にも寄ってきました。
でも川崎だと川崎大師がでかすぎて神社のイメージないですがありました。。
元は山王様だったそうで、明治期に神社になったそうな。
無事川崎まで歩きましたが、景色の変化は乏しくて東京近郊はやはり面白味がないですね。
次回は保土ケ谷まで歩く予定ですが、少しは郊外風景に変わってくれるだろうか。